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東京地方裁判所 昭和32年(ワ)5457号 判決 1967年5月16日

原告 中川産業株式会社

被告 国

訴訟代理人 鎌田泰輝 外二名

主文

被告は、原告に対し、金一〇六万五、四二九円およびこれに対する昭和三二年七月一八日から右金員完済に至るまで年五分の割合による金員を支払え。

原告のその余の請求を棄却する。

訴訟費用はこれを三分し、その二を原告の負担とし、その余を被告の負担とする。

事実

第一、当事者の申立

原告訴訟代理人は「被告は、原告に対し、金三二二万二、五〇二円およびこれに対する昭和三二年七月一八日から右金員完済に至るまで年五分の割合による金員を支払え。訴訟費用は被告の負担とする。」との判決ならびに仮執行の宣言を求め、

被告指定代理人は「原告の請求を棄却する。訴訟費用は原告の負担とする。」との判決を求め、担保を条件とする仮執行免脱の宣言を求めた。

第二、当事者の主張

原告訴訟代理人は、

請求の原因として、

「一、別紙物件目録記載の建物(一)(二)(以下単に本件建物と称する。)は、原告の所有である。

二、被告国(当時の所管庁は中央終戦連絡事務局)は、昭和二〇年九月一一日、連合国軍最高司令官本部から、「一九四五年九月二二日以前に羽田空港所在の島およびその東南方島上に居住する一切の日本人を他の地区に移転させること」との命令および「九月二一日午前零時から四八時間以内に住民の立退、建物の除却を命ず。尚定時までに立退先のなき者に対しては集団収容すること」との附帯命令を受けた。

三、被告はこの命令を履行するに当つて、立退先のない住民五四世帯を集団収容するため、前同月二二日正規の手続を経る時間的余裕がなく、また原告から承諾を受けることも困難であつたので、占領軍将校を原告方にさしむけ、一方的に、本件建物を二週間一時使用する旨口頭で伝達せしめた上、本件建物五四室のうち別紙入居者名簿(ロ)欄記載の二八室を含む五〇室を強制的に収用し、これに前記立退先のない住民を収容した。

四、しかるに右二週間を経過するも、被告は何ら原状回復をしないばかりか更に前同様同年一二月三一日まで継続使用する旨一方的に通告し、その後も使用を継続し、昭和三五年四月三〇日現在、なお別紙入居者名簿(イ)欄記載の者合計二八世帯を同(ロ)欄記載の各室(別紙図面のとおり)に居住せしめて右部分を不法に占有した。

五、原告はこのため、次のごとき損害を蒙つた。すなわち、

(一) 原告は、当時、医療器具鈑金加工およびアルマイト加工事業に着手するため本件建物をその工場ないし工員寮として使用すべく整備中だつたものであり被告の右不法占拠によつて、その使用を妨げられ、別紙第一損害金計算書(一)記載のとおり昭和二〇年九月二三日から昭和二六年一二月末日まで七五ケ月間(端数日を切捨)に合計金三一二万円の得べかりし利益を喪失したが、本件建物入居者から金一五万六三五円の給付を受けたので、その額を控除した金二九六万三、六四七円の内、金二三三万九、六四七円を自己使用不能による損害金と主張する。

(二) 本件建物には昭和二〇年九月から無修理にて入居者より乱暴に使用されてきたが昭和二六年一二月現在、その著しい破損を修理するためには全室総坪数二〇四坪五合につき金二一七万円相当を要したところ、右建物のうち少くとも不法占拠された部分の破損は被告が立退き住民を本件建物に収容し六年間にわたつて占拠したことに基因するものであるから、右金額のうち不法占拠坪数一〇四坪に相応した金一一〇万三、五六九円は被告の不法占拠による本件建物破損の損害額である。そこで原告は右金額のうち金八八万、二八五五円を本件建物破損損害金と主張する。

六、よつて原告は、被告に対し、右不法占拠による損害賠償として前項(一)、(二)の合計金三二二万二、五〇二円およびこれに対する本訴状送達の日の翌日たる昭和三二年七月一八日から右金員完済に至るまで、民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。

七、仮に、原告が被告に対し第三項記載の二週間の一時使用、および第四項記載の昭和二〇年一二月三一日までの本件建物使用を承諾し、本件入居者らの使用を許容したとしても、被告は、右期間中はその使用につき、原告に対して正当な補償をなすべきであり、また右期間経過後は、右明渡すべき義務があつたのにその後も第四項記載のごとく本件建物を明渡さないのであるから、これによつて原告が蒙つた第五項記載の損害を賠償すべき義務がある。

よつて原告は被告に対し、予備的に、原告が使用を承諾した期間中の正当な補償と前記債務不履行に基く損害賠償として第六項記載の金員の支払を求める。」

と述べ、

被管の時効の仮定抗弁に対し

「原告は、本訴請求権について、当時国の事務を受託していた東京都庁(および大田区役所)、調達庁を通じ、被告に対して昭和二一年三月、同二三年七月、同二四年五月下旬、同二五年七月一〇日、同二六年一二月三一日、同二九年一一月一五日および同三〇年六月頃など殆んど継続して、損害の補償を請求し、被告はその都度損害を補償すべき債務のあることを承認しながらその補償方法の法的根拠を見出しえないと称してその支払を遷延したものである。」

と述べた。

被告指定代理人は、

請求原因に対する答弁として、

一、請求原因第一項は、認める。

二、同第二項は、原告主張の附帯命令のうち「九月二一日午前零時から四八時間以内に住民の立退」を命ずる部分と、定時までに立退先なき者の「集団収容」を命ずる部分は、これを否認するが、その余の命令は認める。

三、同第三項は、原告主張の頃、立退地区住民若干名(氏名人数は不明)が本件建物に入居したことは認めるが、その余の事実は否認する。右入居者は蒲田区役所職員および町内会役員らの斡旋によつて、原告との話合のもとに入居し、これを占有するに至つたもので被告らは何ら関知していない。

四、同第四項は、昭和三五年四月三〇日現在別紙入居者名簿(ハ)欄記載の者合計一八世帯が原告主張の部分に居住していたことは認めるが、その余の事実は否認する。

五、同第五項は、原告が、当時、その主張のごとき事業のため、本件建物を整備中であつたことは不知、原告が入居者からその主張する給付を受けたことは認め、その余の事実を否認する。

(一) 原告は本件建物の自己使用不能による損害金として地代家賃統制令による統制額以上の賃料相当損害額を主張するが、本件建物のような遊休建物は正当な権利者の使用によつても通常統制賃料額以上の利益は予想されないから仮に被告に損害賠償責任があつてもそれは統制賃料額によるべきで原告主張の損害額は過大である。また仮に統制額以上の損害額が認められるとしても六畳一室については月金一、二〇〇円四・五畳一室については月金九〇〇円が相当である。そして昭和二〇年九月以来の賃料相当額として昭和二六年一二月三一日当時の賃料相当額をもつて主張するのは不当である。

(二) また原告の主張する建物破損による損害金は、その損傷率の評価が過大であるうえ、本件建物は昭和一五年頃に新築されたものと思料されるから立退地区住民の入居を昭和二〇年九月二二日として、右損傷率を入居前五年九ケ月、入居後六年三ケ月の割合で按分すべきである。」

と述べ、

抗弁として

「仮に被告に損害賠償債務があるとしても、不法行為に基く本訴請求権は行為の終了時たる昭和二六年一二月三一日の翌日から満三年を経過した昭和二九年一二月三一日の満了をもつて時効により消滅した。

また債務不履行に基く請求権は昭和二二年七月一〇日までの損害金についてはその翌日から満一〇年を経過した昭和三二年七月一〇日の満了をもつて時効により消滅し、昭和二五年六月二二日までの損害金については本訴提起により、当初訴状により請求していた金一二五万二、〇九七円の限度では消滅時効が中断されるが、その余の部分は遅くともその翌日から満一〇年を経過した昭和三五年六月二二日の満了をもつて時効により消滅し、昭和二五年六月二三日以降昭和二六年一二月三一日までの損害金については、請求を拡張した昭和三五年六月二〇日付原告準備書面が同年六月二三日提出されたことにより、そのうち金一六二万八、六九九円の限度で消滅時効が中断されるが、その余の部分は、遅くとも昭和二六年一二月三一日の翌日から満一〇年を経過した昭和三六年一二月三一日の満了をもつて時効により消滅した。」

と述べ、

原告の時効中断の再抗弁に対し、

「原告が被告に対し、再三損害の補償を請求してきたことは認めるが債務を承認したとの主張は全て否認する。」

と述べた。

第三証拠関係<省略>

理由

一、本件建物が原告の所有であること、被告国が昭和二〇年九月二一日連合国軍最高司令官本部から「一九四五年九月二二日以前に羽田空港所在の島およびその東南方島上に居住する一切の日本人を他の地区に移転させること」との命令および「九月二一日午前零時から四八時間以内に住民の立退、建物の除去を命ずる」との附帯命令を受けたことは当事者間に争いがなく<証拠省略>によると右附帯命令では右四八時間内に住民の立退きを命ぜられ、右定時までに立退先のない者は極力集団収容することも命ぜられたことが認められる。そして右命令を実施するため立退先のない住民の一部を前同月二二日本件建物に収容するに至つたことは当事者間に争いがないところ、右収容の経過をみると、<証拠省略>を総合すると、右羽田空港附近の立退きを命ぜられた住民のうちには前記九月二二日正后までに行き先のない住民が一一〇世帯四五八名にも及んだのでこれらの住民を前記附帯命令に従い集団収容するより外ない事態となり、そのため羽田派遣の進駐軍より蒲田区役所に宛て右住民を収容するに可能な場所を選定して提示せよとの指示があつたこと、そこで同区役所の方で右収容箇所一〇数ケ所を選定して提示し、羽田派遣進駐軍接収事業の担当官である米軍将校二名、通訳一名と右区役所の係官が右提示箇所を巡察した結果、本件建物外七ケ所が適当と認められたこと、本件建物に右立退き住民の収容のため使用するについては収容前に既に米軍将校より直接口頭をもつて命令の形式で二週間だけ一時使用することを決定通告されていたこと、右命令通告に対しては原告会社の当時の常務取締役資材部長で本件建物を管理していた上野亀之助が止む得ず承諾し、本件建物の直接の管理者で原告会社の社員であつた森紀臣に立退き住民の収容を指示したこと、本件建物に立退き住民を収容するについては蒲田区役所の吏員である金子譲らが右森紀臣と協力し右住民を指示して収容入居させたこと、本件建物に立退き住民の収容がなされた後である同年一〇月頃蒲田区役所の鈴木三郎から原告に本件建物利用の謝礼として他の収容建物に対する場合と同様一律に金一、〇〇〇円位が支給されたこと、蒲田区役所において右羽田空港用地の接収事業、その住民の立退き、立退き住民の集団収容等の事務を担当するに至つたのは、国の中央終戦連絡事務局から東京都庁を経由して同区役所に進駐軍の羽田飛行場接収命令が通達され、しかも当時国から進駐軍の命令は日本政府の命令と心得るべき旨の通牒がなされていたので同区役所としては本務でないが国の末端の出先機関として右事務を行つたこと、本件建物に対する住民収容は一時的なものとしてなされたが被収容者らは当初の約束の二週間をすぎても本件建物から立退かないので蒲田区長らが被収容者らに立退きを説得したがその効果がなく同年同月七日ごろ米軍担当官が立退きを被収容者らに説得したが立退先がないとのことで一名の立退者もなく止む得ず同担当官が口頭で収容期間を同年末日まで延長することを原告方に対し一方的に命令したこと、原告会社側ではこれに対し同意しなかつたが進駐軍の命令とあつて結局同年末日まで本件建物の使用を事実上許容したこと、が認められ、右認定を左右するに足りる証拠はない。

右の認定事実によれば本件建物の被収容者らが蒲田区役所職員らの斡旋によつて、原告と任意に話合いかつその合意のもとに入居したものではなく、被告国が連合国軍最高司令官本部から進駐軍の羽田飛行場接収命令を受け蒲田区役所をして立退き住民の集団収容のため本件建物を強制使用させ、昭和二〇年一二月末日までの間原告から一時借り受けさせたものであることが認められる。

二、しかして、前記被収容者らは昭和二〇年一二月末日になつても本件建物から立退かず、その後も引続き居住し右被収容者らのうち別紙入居者名簿(ハ)欄記載の被告の認める一八世帯が同(ロ)欄記載の各部屋に昭和三五年四月三〇日当時も居住していることは当事者間に争いがなく、同名簿のその余の一〇世帯の使用する部室についても<証拠省略>および弁論の全趣旨を総合すると、昭和二四年四月三〇日当時には少くとも原告の主張する二八世帯の被収容者らが居住していたこと、その後昭和三五年までの間に原告に無断で居住者が事実上入れ替つたが被告の方で右被収容者らが退去する際その占有していた部屋を責任をもつて原告に引渡す等適宜の措置をとらず放任しておつたことが認められる。

従つて被告は本件建物を昭和二〇年一二月末日までの間事実上強制使用の形で一時借り受けながら、その間の使用料(賃借料)等を支払わず、右期限後も被収容者ら(後に入れ替つた入居者を含む。以下同じ)をして退去せしめてこれを明渡さなかつたのであるから、右賃借料および明渡債務の不履行による損害金を賠償する責任があるものといわねばならない。

三、そこで以下原告の主張する損害金額について判断する。

(一)  原告は本件建物を昭和二〇年九月二二日から昭和二六年一二月末日までの間使用できなかつたことによる損害金としては鑑定人石川市太郎の鑑定の結果に照応する別紙第一損害金計算書(一)のとおりの割合による賃料相当損害金三一二万〇、〇〇〇円となるが原告がこれから現在譲歩し得る二割を減額すれば金二四九万六、〇〇〇円となり、さらに入居者が損害金の一部として醵出した金一五万六、三五三円を控除した金二三三万九、六四七円の賠償を主張している。

しかしながら被告が本件建物を使用するに至つたのは前述のように進駐軍の羽田飛行場接収に基因する立退き住民の収容のためであり、その使用開始の事情も実質は進駐軍担当軍人の命令によつて半ば強制使用されたのと同様であるから、できる限りその賃借料ないし同相当額損害金の算定も駐留軍の用に供するためにする強制使用、その他の公用使用の場合に準じた基準によるのが相当である。

しかして<証拠省略>によると、駐留軍の用に供する土地建物等の損失補償等要綱に基く土地建物等賃借料算定基準として調達庁規則第一五号(昭和二七年七月二八日より実施され、その後数次にわたり改正されている……以下調達庁基準という)があり、右調達庁基準によれば建物の賃借料は純家賃と地代相当額との合計とされ、右純家賃と地代相当額とは別紙第二損害金計算書記載のとおりの構成要素で算定されることになつており、一方右調達庁基準の総則によれば右基準によつて算定した建物等の賃借料はその建物等および近傍類似の地代、家賃売買価格等を考慮して適正に補正しなければならないとされていることが認められる。そこで本件建物の賃借料相当額を算定するに当つても右調達庁基準にそつて算出するのが相当と思料されるが本件建物およびその敷地の取引上の時価が登録価格よりはるかに高額に評価されていることは顕著な事実であつてこれによることは不適当なので、右賃借料を算定する場合も右登録価格によるべきでなく時価を採用してこれをなすべきである。(また本件建物の賃借料および同額損害金は国が一時借用したことに起因するのであるから、その算定にあたつても地代家賃統制令の適用がないものとして(同統制令第二三条第二項第一号参照)算定すべきであり、この点においても統制家賃の前提になつている登録価格を採用すべきでない。)

鑑定人石川市太郎の鑑定の結果によると本件建物の昭和二六年一二月三一日当時の価格は金六一四万円相当であり、その敷地の同じく価格は金五二万円相当であつたこと、本件建物およびその敷地の固定資産税額が金二万二、一一二円相当でまた当時の損害保険料率算定会の火災保険料率は金一、〇〇〇円につき金一二円の割合であつたことが認められ、右認定を左右するに足りる証拠はない。

そこで右各数額を根拠として前記調達庁基準に則つて、本件建物の昭和二六年一二月三一日当時の原告の主張する二八室分の一ケ月当りの賃借料を計算すると別紙第二損害金計算書のとおり金三万五、七四二円一五銭となる。

しかして原告の賃借料相当損害金を請求する昭和二〇年九月二二日から昭和二六年一二月三一日までの間の七五ケ月間は物価の変動が著しく右金三万五、七四二円一五銭をもつて右期間中を通じての一ケ月当りの平均的賃借料とするのは妥当でないことが明白なので、右金額に<証拠省略>によつて認められる日本銀行調卸売物価指数比を乗じていくと別紙賃借料額一覧表記載のごとくになり、結局右昭和二〇年九月二二日から昭和二六年末日までの賃借料相当額は合計金一〇九万二、三〇三円四六銭となる。

(二)  次に原告は本件建物が昭和二〇年九月二二日以降被収容者らによつて乱暴に使用され、無修理のままであつたので昭和二六年一二月当時において著しく破損していたと主張し右当時における修理費相当額の損害金を請求している。<証拠省略>によると、本件建物への被収容者らは、居住民組合を結成し、本件建物の使用について居住者を統制規律していたので格別乱暴な使い方をした人はなかつたこと、本件建物の損壊した個所なども右被収容者らの積立てた費用をもつてその都度修理していたこと、昭和二六年末当時においても本件建物はそれほど損傷していなかつたことか認められ、右認定に反する<証拠省略>はにわかに措信できず、<証拠省略>の原告の本件建物損壊調も昭和二四年四月三〇日当時において本件建物の畳、硝子、襖、下戸に幾分の損傷があつたことを示すが右損傷が全て被収容者らの居住によつて生じたものであるかどうか明らかでなく、また通常使用にともなう当然の損傷以上に特別乱暴な使用によつて生じた損傷であると認めさせる資料もないうえ、前記認定のように被収容者らがその都度修理したことがあるので昭和二六年一二月当時にも右調査の結果と同様な損傷があつたとは直ちに推定することもできない。

原告は鑑定人石川市太郎の鑑定の結果に照応する別紙第一損害金計算書(二)のとおりの建物損傷による損害金一、一〇万三、五六九円から原告が現在譲歩し得る二割を減額した金八八万二、八五五円の賠償を主張するが、右鑑定は本件建物の昭和二六年当時の具体的損傷の程度を確認しないで、本件建物が被収容者らに乱暴に使用され、通常使用にともなう損傷に比し特別に損傷していたことを仮定し、しかも右特別損傷の程度について明らかにしないまま補修経費を推定しているのであるから、その前提において前記認定に反し、かつ右の点についての鑑定資料に全く具体性がないので採用することができない。

よつて原告の本件建物の特別損傷による損害の主張は、他にこれを認めるに足る証拠もないので結局容認するごとができない。

以上によれば被告は原告に対し、本件建物を昭和二〇年九月二二日から同年一二月末日まで一時借用したことの賃借料ならびに昭和二一年一月一日より昭和二六年一二月末日までの本件建物明渡義務不履行による損害金として前記金一〇九万二、三〇三円四六銭を支払うべき債務があつたことになる。

四、そこで右債務の時効による消滅および時効中断の主張について判断する。

原告が被告に対し本件建物の強制使用による損害の賠償を再三にわたり請求したことは当事者間に争いがなく、<証拠省略>によると、原告会社の社長をしていた二瓶吐智は本件建物の強制使用による補償について昭和二一年三月頃から蒲田区長や、東京都庁や調達庁に対し数次にわたつて請求してきたが、いずれも原告の損失について同情を示したが調査詮議の結果所管が異るとか、補償すべき法律上の根拠がないとか、補償方法がないという理由で拒絶されてきたことが認められるも未だ被告の方で損害賠償債務等の存在を承認したことを認めしめるに足る証拠はない。

しかして、本件訴訟記録によれば原告が金一二五万二、〇九七円を請求する訴状を当裁判所に提出したのは昭和三二年七月一一日であることが明らかであるので、それより一〇年前の昭和二二年七月一〇までの損害金等債権金二万六、八七四円二一銭については本件訴訟提起の日の前日以前に時効により消滅したものといわねばならない。従つて原告は被告に対し別紙賃借料額一覧表中昭和二二年七月一一日以降昭和二六年一二月三一日までの分金一〇六万五、四二九円二五銭についてのみ請求し得ることになる。

五、よつて原告の本訴請求は金一〇六万五、四二九円(円位以下切捨)の賃借料相当損害金およびこれに対する訴状送達の日の翌日である昭和三二年七月一八日以降右損害金完済に至るまで民事法定利率年五分の割合による遅延損害金の支払を求める限度で理由があるからその範囲においてこれを認容し、その余の請求は理由がないので棄却し、訴訟費用の負担につき民事訴訟法第九二条、第八九条を、適用し、なお仮執行の宣言をつけるのは適当でないからその申立を却下することにして主文のとおり判決する。

(裁判官 石原辰次郎 長利正己 鬼頭季郎)

別紙目録<省略>

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